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具象系イメージ抽象着彩画

これは教室内で描いたアクリル水彩画です。画像は作品を額に入れるという行程、所謂額装時の画面にカッティングしてあります。2つ下の作品全体図が描画全体像です。今回は絵画描画に於ける幅と精神面からの感受、それらに関係する内容についてです。内容的にもこれ迄と異なる点に触れているので少し楽な気分で御覧になって下さい。人間には当然の如く人としての幅があり、それは生命としてかけがえのないものでもあり、それが芸術という事でもあり、そして精神を持つ生物が物事を身に付けるという事に於いてその幅があるからこその、同幅の領域が存在し、そこには以前綴った様に当然秘密もあります。その1つに社会生活側面から簡単に触れます。
作品名: 赤髪の子
作品概要サイズ: 13cm x 21cm
素材: アクリル,水彩紙
漫画ドローイングから
先ず、この左の画像、どの様に思いますか?。変わっていますか?。好きですか?嫌いですか?、面白い絵ですか?下手ですか?。初めて御覧になられる方は、何所かの小学生が描いた絵と思われるかも知れません。
それでは少し深呼吸して読みましょうか。
簡単な概要を書きます。
事前に現状で到底描けないであろう線を見せるとします。例えばボードに描いた人体でも良いですね、そしてその後、芸術、人間という存在の幅から生まれた一見そうではない表現、所謂人間だからこそ幅を思考され歴史の中で広げられ造形されて来た線を見せます。その時とある変化を導き出す事が出来ます。これは習得する事に於いての融和とすべき精神の領域、その器に注がれているかどうか感知可能とする具現化時に行なってみる表現の1つかも知れない震度で、初めて内面の精神状態を実態として映し出す鏡とも表現出来る術です。当然その逆の行程方法もありますが、この流れから体感感知すると映し出されるものは、そう、

その人の心です。

内容を解説します。
これに来る迄に掲載してある作品の中で到底描画出来ない様な線を観ていらっしゃるかも知れません。それは線質や空間造形表現もしかり、描画知識を持たない方でも平面描画の線を目視はされていると思います。そこでこの絵ですね。
低俗な俗っぽい事を書きます。
わかり易くいえば、こんなの下手だよ顔はこうやって描くんだよ。そして眉毛の線がおかしいんだよ、はみ出してるじゃんもっと綺麗に描かなきゃ。そして、色がグシャグシャになってるんだよ、汚い、俺の方が上手く描ける。更に、笑ってしまうよ、目はこうやって描くんだよ、俺の方が上手く描けるじゃん。大凡その辺かな。
絵画を知らず初めてこれのみを見た方ならそうもなる場合もあるかも知れません。少なからず観て来られた方やドローイング線を御覧になられた方は、実際現実として自身に描けない領域を目視通過しているという側面があります。とどの詰まり、その上にあってこれを見ているという事が習得過程での指導中に於ける実際状態を安直ではなく現実として立証するとも表現可能な、つまり相手側の思考そしてそれはこの掲載趣旨で概要の1つです。
少し歴史に触れてから解説に入ります。先ずこれには絵画芸術が人間の思考幅とその存在を広げたと表現出来る印象派、近代以降に感性としてその幅を表現して来た人間存在の在り様にも幅を持たせてきた要素の1つである近代以降の平面芸術表現、そして絵画的と呼ばれるタブロー画独特のテクスチャーと造形理論、その断片が表現されています。人が線を用いてドローイングする事での人体描画ないし素描に於けるリアリティーある造形描写は、御存知の西洋の1600年代巨匠達によって1つの確立ドローイングがなされました。その約300年後に、そう続けて描いている事だけの造形に限界思考が起き、俗にいう感性の絵画ドローイングの走りを誕生させました。印象派と名付けられた御存知の方達です。その作品は印象を感性による描画として行なってある表現です。今現在皆さんが気楽に落書きしたり絵画をたしなむ事が出来るのは、彼らが絵を描くとはこの様になければならないという概念枠を初めて広げた事から発生発達した事によるものです。その後はその方向から枝分かれをして様々な表現を生み出して行く事になります。
先に説明に戻ると、これには描画感性に於ける絵画的というものが含まれています。以前説明した技術内容で付随説明すると1つには絵の具の多重層系、顔の色相や形状は背景の下地層を軸に描画されています。造形面でのその思考に於いてのみの説明としては、それは絵画方向でよく表現される、顔が描いてありますが顔を描くという事で顔を描いてない、という言葉で表現される領域の1つで、平面上に描くという理論に立ってその概念を思考発展描画して行くと、描く顔も座っている椅子も後ろのカーテンも、描くという事実行為としては描画の1つに過ぎず、それは同等の価値を有するという画面内を等価値に描画するセザンヌに端を発する造形理論から発展された描画の1つです。つまり髪の毛も眉毛も背景の塗りも同じ意識のもとに描画されているという造形思考です。その他絵画的側面では、表層から下に何か形状が目視出来るかも知れません。これは異なる作業を行った上に描いてあるという近代後に生まれた表現です。驚かれる方もいらっしゃるかもしれませんが、実際には途中で左に90度構図を回してその上に描かれています。
ここで先の概要解説に戻ります。
とどの詰まり、今回掲載の作品も上手い下手の線上で仕切るだけが思考基軸ではないという説明の続きです。これは先に書いた歴史上の平面芸術方向で起きた人間という存在の幅だけ融和させようとする芸術活動の在り様の1つ、価値観の進展とも表現可能な領域です。絵画芸術方向では極初期に通過する事柄なのですが、観念画のみの方向では存在しない思考と視野なので必要な箇所を今後説明予定です。
この内容を非凡に簡約すると、所謂上手い路線での達筆系の線を引いて見せた人物が、一見子供の様に見えるこの絵を描いています。というのは人間であるからこその芸術が広げ培って来た1つの幅です。
ここで異なる事で例えます。
到底料理出来そうもない料理を目の前で沢山作って出されていて、次にお茶つけを作ったとしたら、あなたはどう考えますか?。もしかしたら、こんなのしか作れないの?、ひょっとしたらこれしか出来ない?。
先の説明と合わせその心に触れると、その場合、つまり、

最初から貴方の前に教える人間は存在していないという事です。

物事習得にはそれぞれによって差もあり、御承知の通り厳密には若干の身に付き易く身に付きづらい側面があります。身体に不自由を負っておられる方は上手いとされる描画技巧上に於いて現実事実上の描画困難が予想され、そうではない方は自身が置く精神の壁が存在するからです。
再び、この絵をどの様に思って御覧になっていらっしゃいますか?。
中学クラス等で指導されていらっしゃる方々で似た様な対話で反応を観られた時に、下げすむ反応がある方は、他と習得に差が出ます。ここでは多くは語りませんが、それが深く関係している精神面の1つです。
つまり身に付けたいとする幅を万人とした時、常識的な理念に立つとするならば、ただ教えているだけでは表現として好ましくないですが出来る子と出来ない子の差が付くだけという現象になります。これは現実の教育社会を意味しているので表現が伝わり易いかも知れません。つまり以前説明したと思いますが、何故同じ時間を掛けて学んでいるのに全員が出来る様にならないのか、その1つは簡単にはそういう事による側面も存在するという事になります。但し当然それは、自身が取り仕切る精神での一端で1つの現象に過ぎません。
(*注1)(*注2)は顔部分を切り抜きしたものです。表情が異なる様に描画しています。
今回の内容として最後に
この絵は絵本的な観え方ですね。髪の毛もそれらしく描かれていないし、確りと描かなきゃと思う人もいるかも知れません。こっちにはこの様なドローイングもあります。様々研究もしてきましたが、この線は描けないかも知れないですね。?、怒っては駄目です。様々なドローイングが掲載されています。描けたら褒められるものもあるかも知れません。但しそれは貴方と共に成長するものかも知れません。
そして、教えているという事です。
(素材:アクリル,水彩紙)
追記
善くわかりましたね。そうです。この絵が描けたら大したものです。

これも教室内で描いたアクリル水彩画です。4枚連続で描いた際のラストで、公開してなかったと思います。描画技法説明では、割り箸でのドローイング線をスピード調節する事での強弱と太さ掠れを用い、目も左右で伝わり方に工夫を施し微妙な表情を表現しています。歴史書を観ていて銅鏡の装飾部を参考に顔にして表現したものです。
解説はもとより、どの様に感じますか?。
物を創るにはそれだけではない事柄が存在します。
それは人類が誕生し、芸術と名を与え、その幅を広げる為に困難の中育み培って来たかけがえのない人間、そのものの姿と認められる幅だからです。

(素材:アクリル,コピー用紙)
橋本恭明
追記
観念画方向には客観的方向ではなく観念だからこその観念、そしてまだ思考も存在もしない人間的芸術的事柄が多くあると思うので今後補足予定です。

深呼吸された方、筋が善いですね。

(*注0)顔部分切り抜き
作品全体図
(*注1)顔切り抜き
(*注2)顔切り抜き
作品名: 銅鏡顔
作品概要サイズ: 15cm x 21cm
素材: アクリル,割り箸,コピー用紙
漫画ドローイングから

着彩



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